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東京家庭裁判所 昭和38年(家)6903号 審判 1963年10月07日

申立人 大井ゆみ(仮名)

被相続人 中島次郎(仮名)

主文

被相続人中島次郎の相続財産である

東京都荒川区三河島町二丁目○○○○番地所在

家屋番号同町○○○○番三

一、木造瓦葺平家建居宅一棟

建坪八坪八合五勺

を申立人大井ゆみに与える。

理由

申立人は主文同旨の審判を求め、その実情として、申立人は大正一四年五月以来被相続人中島次郎と事実上の夫婦として同棲生活をしてきたところ、同人は昭和二九年四月一二日脳卒中で死亡したが同人には相続人がなかつたので申立人が同人の葬儀を営み菩提を葬つてきたのであるが、被相続人の唯一の遺産である主文記載の家屋はもと申立外山村弘が所有しこれを被相続人が賃借し居住していたものであつて、山村弘が昭和二二年六月一〇日これを財産税のため物納したので、被相続人が国から払下げを受けることになりその代金は被相続人及び同人の死亡後は申立人が分割払で完済しているので、この際被相続人と特別の縁故関係にある申立人に被相続人の遺産たる上記家屋を分与されるよう本申立に及んだと述べた。

よつて調査するに、当庁昭和三四年(家)第八三三九号相続財産管理人選任審判事件、昭和三四年(家)第一三三〇三~一三三〇七号失踪宣告審判事件及び昭和三七年(家)第一〇一六〇号相続人搜索の公告審判事件の各記録、申立人に対する審問の結果及び主文記載家屋の登記簿謄本を綜合すると次の事実が認められる。

(1)  申立人は被相続人中島次郎と大正一二年頃から事実上の夫婦として内縁関係を結び生活を共にしてきたところ両人の間に子供も生れないまま被相続人は昭和二九年四月一二日脳卒中で死亡した。被相続人死亡当時、戸籍簿の記載によれば同人の母中島かつ(明治六年五月一二日生)、兄中島亀男(明治二五年二月二一日生)、妹中島さく(明治三一年五月二八日生)、妹中島タキ(明治三八年二月二八日生)及び弟中島文男(大正四年八月四日生)が生存しているように記載されていたが、同人らは既に長期にわたつて生死が不明であつたので昭和三四年一一月一七日本件申立人より同人らについて失踪宣告の申立がなされ(昭和三四年(家)第一三三〇三~一三三〇七号)所定の手続を経た上昭和三六年三月一五日それぞれ失踪宣告がなされ、同人らはいずれも昭和五年九月一日死亡したものとみなされた。そして、被相続人にはこれ以外に相続人たりうべき者はいなかつた。そこで申立人は被相続人の唯一の身よりの者としてその葬儀を営み菩提を葬う等一切を行なつてきた。

(2)  被相続人の遺産である主文記載の家屋はもと申立外山村弘の所有であつてこれを被相続人が賃借し申立人と共に居住していたものであるが、昭和二二年六月一〇日家主たる山村弘は財産税の納付のためこの家屋を物納し家屋所有権は国に移転した。そこで被相続人は昭和二六年二月二八日国からこの家屋を一万一、三七五円で払下げを受け、代金は分割払でその死亡までに五、八六二円を支払い、残額五、五一三円は被相続人の死後申立人が立替て支払い昭和三〇年三月三一日その支払を完了した。そして、被相続人の死後も申立人はひき続き本件家屋に居住している。

(3)  上記の如く被相続人は相続人なく死亡したので、申立人は昭和三四年七月七日当庁に利害関係人として相続財産の管理人選任を求め(昭和三四年(家)第八三三九号)、昭和三六年一二月八日東京都武蔵野市吉祥寺○○○番地河上竹雄が管理人に選任された。爾来管理人河上竹雄は相続財産の管理に当り昭和三七年六月一日相続債権申出の催告を公告し、更に同管理人からの相続人搜索の公告の申立により(昭和三七年(家)第一〇一六〇号)、当庁は昭和三七年一一月二七日相続権主張の公告をなしたが、催告期間が満了した昭和三八年六月三〇日までに相続権を主張する者はあらわれなかつた。そして、申立人は上記催告期間満了後三ヵ月以内に被相続人と特別の縁故関係にあつたものであると主張し遺産たる本件家屋の付与を求めて適法に本申立に及んだのであるが、申立人以外には上記三ヵ月以内に被相続人との特別縁故関係を主張して相続財産の分与を求めたものはいなかつた。

以上認定の諸事実に相続財産管理人河上竹雄の意見を参酌すれば、申立人を民法九五八条の三にいわゆる被相続人の特別縁故者として本件被相続人の相続財産たる主文記載の家屋を与えることが相当であると認められるので、本申立人を認容し主文のとおり審判する。

(家事審判官 加藤令造)

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